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鈴木啓太選手引退。引退の決断から思ったこと。

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2015年のJ1リーグ最終節で、浦和レッズの鈴木啓太選手が引退しました。

 

 

鈴木啓太選手は、同学年でること。

そして、大好きな浦和レッズの選手であるので、いつも応援していました。

 

 

 

鈴木啓太選手の思い出は、

たくさんあるので、何が一番印象に残っているのか

選ぶのは、難しいです。

 

 

そんな中、強いて選ぶならば、ミシャ体制になってレギュラーに定着した

2013年のころのプレーが、印象に残ってます。

 

 

鈴木啓太選手というと、守備は素晴らしいが

攻撃へのアクセントとなるプレーをするイメージは弱わかったです。

 

ですが、

2013年のプレーでは、ロングキックの精度もあがっており

守備だけでなく、パスでの展開力があがっておりました。

 

32歳でも選手としての成長が垣間見れて、すごいなと刺激を受けました。

 

2014年に、不整脈になり、その影響からか徐々に出場機会を減らし

引退にいたったと思われます。

 

 

鈴木啓太選手 当初引退でなく 移籍が噂されてた

 

最終節に、突然の引退発表をしましたが

現役続行の雰囲気が強かったように感じておりました。

 

現に、横浜FCへの移籍の記事が流れておりました。

 

www.nikkansports.com

 

そして、

引退セレモニーのスピーチでは、このように言っていました。

 

 

『僕の心には、レッズ以上に愛するクラブはありません。

 だから浦和の選手で始まり、浦和の選手で終わることにします』

 

所属するクラブを愛せるかが、サッカーを続ける理由?

 スポーツ選手の引退の理由は、さまざまな理由があると思います。

もちろん、どの引退理由が一番いいのか、を考えるのはナンセンスだと思う。

 

個々人で、理由は当然違うし、

中には、言葉ではうまく説明できない人もいると思います。

 

そんな引退理由は、個々によるなかなか解釈もしにくいものだと思いますが

鈴木啓太選手の引退理由に関しては

スーッと、自分の中で引退理由が理解できた気がしました。

 

鈴木啓太選手が在籍していた間の浦和レッズほど濃いドラマはない!

入団した2000年は、レッズの歴史で唯一のJ2リーグに所属していた時期。

 

そこから、タイトル量産期に突入する。

2003年、ナビスコカップ優勝。

2005〜2006年の天皇杯連覇。

 

そして

2007年のACL優勝。

 

苦しい時期も経験した。

2007年のJリーグのリーグ戦後期の失速による最終節に横浜FCに敗戦して、2位。

2011年のJ2降格危機。

そして

2014年も、2007年同様に、後期の失速により優勝を逃した。

 

浦和レッズの成績だけをみても

こんなに振れ幅のある経験を、1つのチームで経験することはそう多くないだろう。

その時点で、浦和レッズに愛情が生まれるのは、自然なことだと思う。

 

しかも

現役の間、怪我以外の体調不良も2回あり、本当に心身ともに

浦和レッズと共に戦ってきた選手だった。

 

うん。

自分こそ、これ以上に愛せる浦和レッズの選手が、もう存在しない気がする。

 

でも

こんなことを言うことは、鈴木啓太選手は望んでいないと思うので

今まで以上に、浦和レッズを応援していきます。

 

おつかれさまでした。

鈴木啓太選手。